一条美賀子(徳川将軍最後の正妻)

一条美賀子 カラーに描いた画像

一条美賀子 天保6年(1835) - 明治27年(1894)公家の娘として生まれる。幼名は延君(のぶきみ)と言った。のち関白・一条忠香の養女となる。しかし忠香の娘、照姫が、徳川斉昭の七男・徳川慶喜と婚約していたが、照姫が疱瘡にかかり、婚約を辞退。そのため代役に美賀子が慶喜と結婚することになる。その後、慶喜は将軍となったが、激動の中の慶喜は、正妻の美賀子を大事にすることなく、美賀子は孤独な日々を送る。そして自らの命を絶とうともしている。美賀子は、慶喜との間に女児を授かったが夭逝してしまい、それでも慶喜の側室の子供二十一人を実母として育てる。明治27(1894)年、乳がんを患い、手術の甲斐なく亡くなる。享年60歳であった。徳川将軍最後の正室となった。

徳川慶喜をカラーで描く

徳川慶喜 天保8年9月29日(1837)ー大正2年(1913)
慶応2年(1867)江戸幕府15代の将軍となる。慶応3年、薩摩藩・長州藩などの倒幕機運を察知して、大政奉還を行う。しかし、王政復古の大号令に反発。討幕派の薩摩藩などの挑発に乗り、慶喜は慶応4年、戊辰戦争の初戦となる鳥羽・伏見で薩摩・長州・土佐藩に戦いを挑むも敗戦。江戸に逃亡。勝海舟・西郷隆盛らの会議で江戸無血開城して、江戸幕府の終焉を迎える。慶喜は、そののち無爵華族として静岡県、ついで東京府で暮らす。晩年、徳川慶喜家を起こし、公爵となった。大正2年(1913)薨去。享年77歳。

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