楠本高子

楠本高子 カラーに描いた画像

楠本高子(くすもと たかこ)嘉永5年ー昭和13年(1852-1938)は、ドイツ人医師フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトの孫娘であり、日本初の西洋方女医として知られる楠本イネの娘。母であるイネが、師匠であった石井宗謙から望まぬ形で妊娠させられて生まれた私生児であったことから、「ただ子」と名付けられたという説があるが、ハッキリしない。後に宇和島藩の奥女中として仕える際、名を「高子」と改める。シーボルトの血を引く、目鼻立ちの整った美人であったという。母・イネは娘の高子にも医学の道を歩んでほしいと願っていが、高子は幼い頃から熱中していた琴や三味線といった芸事の道を進んだ。、最終的には「権大教正」という高い地位を与えられるほどになり、晩年はこれらの芸事で生計を立てて家族を支えた。
漫画家松本零士氏は、「銀河鉄道999」のメーテルや「」宇宙戦艦ヤマト)のスターシャの美貌のモデルにしたと公言しています。憂いを含んだ寂しげな表情が人を魅了します。

楠本イネカラーで描いた画像

楠本イネ 文政10年ー明治36年(1827-1903)長崎の出島オランダ商館医であったシーボルトと、その愛人である遊女・滝(おたくさん)の間に生まれる。イネが2歳のとき、父シーボルトが禁制品である日本地図をオランダに持ち出そうとした「シーボルト事件」が発覚し、国外追放処分となる。シーボルトは幼いイネの養育を信頼する門弟の二宮敬作に託して、日本を去る。10代になったイネは、愛媛県宇和町の二宮敬作のもとで、医学の基礎とオランダ語を学び始める。 19歳になると、シーボルトの弟子である石井宗賢のもとに弟子入りし、本格的に産科学を学びました。この時、石井宗賢との間に生まれたのがタダ子(のちの高子)である。その後イネは宇和島、長崎で開業し、やがて東京に進出し、活躍する。日本人女性として初めて西洋医学を学び、女性産科医の先駆者となった。

戻る 画像